私の存在価値は他人が決める

 

 

自分より遥かに上手な人が沢山いるのに、

私がピアノを弾く意味はどこにあるんだろう・・・

と考えてしまう事がよくあります。

 

弾いている時でさえ、そんな事ばかり考えてしまい、

全く音楽に集中していない。

目の前の音に集中出来ていないのに、

上手いもへったくれも無い。

日々、そんな情けない自分との闘いです。

たぶん、努力する事が辛くて怖いんだと思います。

 

先日19日は桜桃忌でした。太宰治の命日です。

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トカトントン』という短編があります。

主人公は何かにやる気を起こすと、

途端に「トカトントン」という音が聴こえて来て、

すっかりやる気が失せてしまう、という話です。

私もコレと同じじゃん、と思いました。

頑張る前にヤメている。

トカトントンのせいにしているけれど、

それは自分が勝手にかけているブレーキです。

 

私がピアノを弾く意味、なんて私には分からない。

他人が決める事なのかもしれない。

だったら、今、目の前にある音楽に集中しなければ。

弾く事が誰かの、また、何の役に立つか、

それは、私以外の人にしか分からない事なんだと。

 

そう思ったら、ヘンな気負いは無くなって、

やるべき事がはっきりした気がします。

でも、集中はまだまだ出来てないな・・・・

 

 

「今」が肝心 〈本番で止まってしまわない為に〉

 

音楽は時間の芸術だと言われますが、

ステージで弾いている時は本当にそう感じます。

先の事は少し考える事はあっても、

弾き終わった過去は絶対に振り返ってはいけない。

本当は先の事も考えない方がいいのです。

「今」が一番大切。

時間がどうこうと考える事すら邪念なんですけどね。

ただただ音楽の流れに身を任せる事、それがすべてです。

 

最近、本で読んだり、テレビで観たりしたものの中に、

「今」に集中する事が大切、という内容が幾つかあって、

偶然なのか、今まで気付かなかっただけなのか、

不思議な気がしています。

 

ダン・カーターというNZのラグビー選手の自伝。

「試合中に、結果を出そう、とか、記録を狙おう、

という考えに囚われていると、目の前のプレーでミスをする。」

 

岩合光昭さんという動物写真家の特集番組。

「こういう場面を撮ってやろうと思って何ヶ月も探し求めたが、

結局撮れずに身体を壊した。でも、目の前でキリンが棘だらけの

木の枝から葉を舌でめくり取って食べている姿を見て、

自分が撮るのはこういう世界なんだ、と悟った。」

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森下典子さんの『日日是好日』というエッセイ。

「茶道の先生は作法の事しか教えてくれない。目の前の動作に

集中しなさい、と。どうして心の部分を教えてくれないのか。

でも、それはある日、自分の五感が気付くものだと知った。」

 

内容は概略ですが、こんな感じです。

 

演奏中に、(特に本番で)

「指が動かなくなるかもしれない」と思うと動かなくなるし、

「音が分からなくなるかもしれない」と不安になると指が止まるし、

「さっきの所は上手くいったな〜」と思った瞬間、次の音を弾き損なう・・・

すべて今と関係ない事を考えてしまうから起こるミスです。

 

私は音大時代まで、本番で止まってしまう、という癖が直らず、

克服するのに苦労しました。

ミスタッチならまだしも、止まってしまうのは最悪。

受験を控え「どうにかしなくては」と本気で考えました。

「あそこの音、何だったっけ?」「止まってしまいそう・・」

などと、次々に押し寄せて来る不安を払拭するには、

音を聴き続ける事、それしかない、と気付いた時がありました。

「ダメだ、間違えそう・・・」と思った時、

「音を聴かなきゃ」と思い直したら、

指が勝手に動いて、その危機を逃れられたのです。

自分を信じて、弾いた音から耳を離さないでいれば、

次の音の所に自然に指が行ってくれる・・・

練習を積んでいれば、これは間違いないはずです。

どうしても不安が先走って間違えてしまう、という方は、

とにかく音を聴き続ける事に全神経を傾けてみて下さい。

そうすれば、音楽が自然に指を進めてくれますよ。

流れに身を任せ、鳴っている音に耳を澄ませていると、

次の音を弾くタイミングが自然に生まれます。

音楽ってそういうものなんだ、と信じられるかどうか・・・

 

演奏には過去も未来も関係ない。

どんなに練習が足りてなくても、

逆に、どんなに練習が足りていても、

本番で弾き始めたら、無心で今、この音楽に身を捧げること

それしか出来る事はありません。

 

 

月の光 その2

ヴェルレーヌの詩について、ネットで邦訳を探してみました。

沢山ヒットした中で解り易かったのは次のもの。

 

月の光 
ポール・ヴェルレーヌ

お前の魂はより抜きの景色
仮面をかぶった者たちがリュートを弾き踊りながら
そこに集う
彼らの風変わりな見せかけの下は、悲しいといってよい
彼らは 愛では勝者 時宜を捉えた人生を唱いながらも
その節は短調
自分たちの幸運を信じているようには見えない
彼らの歌は月の光に混じり流れていく
悲しくも美しい 静かな月の光に
それは鳥たちに枝の中で夢を見させる
そして噴水には恍惚のすすり音をあげさせる
大理石の間に細く高く上がる 噴水に

 

仮面とか、リュートとか、

なかなかイメージしづらいものですね。

宴を開いてはいるけれど、

人々の心は、実は哀しみに満ちている。

それが月の、ある意味、静かで冷たい光と相まって、

甘美な世界を創り出している・・・

そんな感じでしょうか。

ただただ、妄想の域を越えません。

 

長調短調は、心の明暗をはっきり表現しますが、

曲の中で「あれ?」と思う、何か心に引っかかる音、

というのが時々あります。

それが何を意味しているのか。

勝手に解釈するのは、演奏する者の愉しみと言えます。

評論家の方に言わせれば、

何らかの裏付けのあるものなのかもしれませんが。

楽譜から、音から、沢山の「気づき」を得られる事が、

演奏を面白くする秘訣だと思っています。

 

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ヴァトー 「愛の宴」

 

 

 

 

 

月の光

今日は満月ですね。

ちょっと曇っているので、拝めるかどうか・・・

日本には「月待ち」という信仰行事がある、

って最近知りました。

お月見の習慣は信仰と共にあったんですね。

 

ドビュッシーピアノ曲に「月の光」があります。

同じくフランスの詩人、ヴェルレーヌが書いた、

「月の光」という詩が源泉にあるそうです。

読んでみても、全然意味が分かりません。

この詩もヴァトーという画家の描いた絵から、

インスピレーションを得て書いたそうなので、

画家→詩人→作曲家という流れで生まれた曲のようです。

 

青に近いような月の光を思わせる冒頭のフレーズ、

月待ちをしている人たちが、何やらさざめいている様な、

そんな雰囲気もあります。

 

源になった絵画や詩を理解するには、

かなり勉強が必要なので、また後日・・・

 

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このツルツルしたカバーが気持ちイイんだニャ。by ロン

 

人にとって芸術はなぜ必要か?

幼い頃からピアノを習っていたので、

音楽が自分にとって必要なのか?なんて、

一度も考えた事がありませんでした。

 

学生時代までは、コンサートも頻繁に行ったし、

レコードやCD、テレビやラジオのオンエアも、

興味を持って聴いていました。

クラシックはもちろん、ポピュラーやジャズなども。

 

でも、演奏を仕事にするようになってからは、

聴く事が減りました。

音楽を聴いても癒される事がないのです。

細かい事が気になってしまって、楽しめない。

特にピアノに関しては、

この曲は弾けそう、とか、絶対弾けそうにない、とか、

そんな事ばかり思ってしまうんですね、哀しいことに。

オーケストラや他の楽器の曲には感動することもあります。

でも、すすんで聴こうとはあんまり思わないんです。

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人は何を求めて、音楽を聴くのだろう?

 

音楽に限らず、美術や文学など、芸術というものは、

人生において、どのような役目を果たすのか・・・

演奏する側に立っている今、

それを知りたい、と強く思っています。

 

聴くのではなく、演奏するという行為については、

自分の内側にあるものを外に放出するという、

ある意味、エネルギーの発散ですから、

それは納得出来ることなんです。

ただ、他人の作品を演奏することは

芸術ではあっても「創作」ではない。

アーティストではなく、プレイヤーです。

 

そんな風に考えていると、訳がわからなくなってくるので、

今日はこの辺で終わりにします。

 

 

 

 

指が動かない・・・そんな時の指ならし

練習を始める前に「指ならし」をします。

ハノンやピッシュナなど教則本を使う事もありますが、

最近はオリジナルのトレーニングを考えてやっています。

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私の場合は、右手でしたら、3、4が弱く、1と2のトレモロも苦手です。

左手は、3、4、5の連続が弱い。

曲を弾いていて、動きづらいな、と思う箇所があったら、

その動きを取り出して、指ならしに加えます。

すぐに忘れてしまうので、五線ノートに書き留めておきます。

リズムを変えたり、反復する回数を増やしたり、

とにかく弾きづらい様にして、強化します。

イライラして、腕も痛くなるけれど、ここはスポーツと同じ。

筋肉がついてくれば、絶対に弾き易くなるはず。

元々、体育会系なので。(笑)

 

子供のうちは、教則本どおり一通りやっておくべきですが、

大人になったら、出来ないところだけ強化すればいい、

と思っています。

 

テクニックは、自分の思い通りに弾く為に必要なのです。

速く弾けるようになるのが目標ではありません。

こう弾きたいのに指が動かない・・・・

いまも悪戦苦闘しているワタシです。

 

 

ブログを始めた理由(わけ)

ピアノを弾き始めたのは4歳の時。親の勧めです。

アパートの上の階にピアノの先生が住んでらした、という事もあって。

それ以来、根っからの負けず嫌いでもあったので、ずっと続けました。

自然とピアニストになる事を目指すようになり、何とか音大に入って、

ピアノを弾く事が仕事になりました。

でも、50歳を過ぎた今でも、自分がピアニストという実感があまりないんです。

小さな躓きは数知れず、大きな挫折も経験しました。

それでも続けているのは、これしか出来る事が無いからです。

他の勉強は全然して来ませんでしたから。

 

演奏というのは、録音しない限り、何も残りません。

私は教える事はしていないので、後世の人に何か残せるとしたら、

経験から学んだ事だけです。

もし誰かの役に立つのなら、自分の経験を書いていこうと思いました。

あまり人には言えない様な、恥ずかしい事も沢山あります。

なかなかピアノの先生には訊きづらい事もありました。

でも、そうした事が、一番教えて欲しい事だと思うんです。

 

日々感じる事なども交えながら、

今までを振り返って、書いていきますので、

どうぞよろしくお願いします。